人は「不快」な症状を「追ってしまう」生き物!
9月 5, 2016 9:56 am
今回は、
人は「不快」な症状を「追ってしまう」生き物、
というお話です。
人間はどうしても
「イヤな感覚」「不快な症状」を気にかけて、
追ってしまう「性質」があります。
「なんだか腰が痛いな、、」
「肩が重く感じるな、、」
「頭が絞めつけらている感じがする、、」
「なんとなく息苦しいな、、」
など、なんとなくでも
「不快な症状」に対しては「敏感」に、
その「感覚」を察知することができます。
では、逆に、
「状態がよい」「問題がない」という、
グッドコンディションの場合についてはどうでしょうか?
おそらく、「状態がよい」という時は、
ほとんどの人では、
「何も感じない」程度になってしまうと思います。
スポーツ選手のように、
身体に対して、「日常的」にその状態を
「探って」いる習慣がある人であれば、
体の細かい状態に気づくかもしれませんが、
普通に生活をされている人であれば、
なかなか、自分の体の「よい状態」というものに
気づきにくいのではないでしょうか?
それくらい、
人間の体は「不快」であることに対しては「敏感」なのに、
体の「よい状態」については、「意識」を向けにくいのです。
これは、
人間の「古い(昔からの)脳」が、
「不快なもの」「いつもと違うもの」に対して、
「敏感」に反応するように、インプットされているからです。
「脳」にとっては、
「不快なもの」「いつもと違うもの」は、
「問題」や「変化」と捉えられるため、
「生命」の「危険」に直結するものという解釈がされるのです。
逆に、「調子のよいもの」「いつも通りのもの」は、
「問題」にならないので、「意識」にも上らないのです。
ですが、現代社会では、
そうそう「生命の危険」に出くわすことはありません。
そこまで、闘いながら生きている人は少ないと思います。
ですので、精神的には落ちついているのに、
体は「不快な症状」を追ってしまうので、
「不快な症状」に捉われやすく、
「よい状態」には気づきにくいのです。
ですが、
この「よい状態」に気づけるようになると、
「よい状態」を体の中でも「広げよう」をすることができ、
この「よい状態」を「探って」いる時には、
「不快な症状」に振り回されることは
少なくなっていきます。
ですので、
「不快な症状」を追いかけるよりも、
「よい状態」を「探して」「広げて」あげられると、
「不快な症状」に振り回されることが少なくなり、
しかも、
体の中で「よい状態」を「広げて」いくことができるんですよ!
Tags: 不快、痛み、

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